熊本市中心街の南端に位置する新市街と辛島町の今と昔の風景です。新市街近辺は元々、「山崎練兵場」があったところで、現在の花畑町からの一体は広大な野原となっていました。大正期の熊本市近代化三大事業の一つである、「歩兵二十三連隊渡鹿(とろく)移転」が完了、花畑町から辛島町にかけて本格的な市街化が始まり、現在のようになりました。新市街はそれ以前から映画館街として隆盛を誇っており、今もその表情は変わることはありません。「山崎練兵場」の名残として、現在も「山崎町(やまさきまち)」と「練兵町(れんぺいちょう)」と言う地名が残っています。

市電の軌道の位置自体は変わってはいないようです。今と明らかに違っているのは現在のサンロード新市街アーケードの真ん中を車が走っていることでしょうか。

現在の熊本市産業文化会館の場所には「熊本市勧業館」が建っていました。開館当初から勧業館地下食堂のハヤシライスが人気で、勧業館がなくなった今は熊本市民会館内の「勧業館食堂」で食べることが出来ます。

思わず懐かしいと思われる方も多いと思います。「銀丁百貨店」の看板が印象的です。戦前は銀丁百貨店の洋食食堂が九州随一の規模誇っていましたが、戦災で焼失してしまいました。当時の新市街にはまだアーケードも無く、新市街の中を車が走っています。左寄りには「九州日日新聞社」の建物を確認することが出来ます。(この当時既に熊本日日新聞社になっていました。)戦後になり、専売公社の工場が県庁になり、その県庁も昭和40年代になると郊外の出水に移転、東洋一の規模と言われる、「熊本交通センター」が「岩田屋伊勢丹」と共に開業しました。その岩田屋伊勢丹も現在は「くまもと阪神百貨店」となっています。

昔、「九州日日新聞社」の建物があったところは現在はコインパーキングとなっています。この辺りも「桜町再開発地域」の中に入っており、これから街の様相が激変することと思います。


古写真の著作権は東洋ネオン、現代の写真は熊本市電写真館に帰属します。

引用元:東洋ネオン様新市街のページより


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