健軍町。熊本市の東の副都心に当たるところです。元々は健軍と書いて、「たけみや」と読むのが正しい読み方のようです。健軍の歴史も古く、近くに阿蘇の伏流水が湧き出る「水前寺・江津湖湧水群」があることから縄文や弥生時代から人が住んでいたようです。元々は熊本市郊外の農村でしたが、昭和20年に三菱重工の重爆撃機工場が完成。一気に人口が増え都市化が進みました。同年、工場に勤める工員を運ぶため、水前寺が終点だった市電が健軍まで延伸されました。当時水前寺駅から現在の小峯まで国鉄の引込み線もあり、交通もかなり便利なところだったようです。工場に隣接している現在の長嶺から月出の国体道路東西線の位置には飛行場もあり、そこから攻撃に飛び立つ爆撃機の姿も見られました。戦後になると宅地化が進み、陸上自衛隊の西部方面総監部の設置、健軍飛行場跡地には「健軍空港」が開港しました。今も国体道路東西線の熊本日赤病院付近にはとても真っ直ぐな区間がありますが、それは滑走路だった名残です。後に空港が現在地に移転し、1999年の熊本未来国体に合わせ国体道路東西線と南北線が開通しました。2012年4月の政令指定都市移行後は電停のすぐ近くに「東区役所」が設置されます。

プチ情報:当時の爆撃機工場の建物は今も健軍駐屯地内に残っています。 熊本東署前を月出・長嶺方面へ行くと左側に見えてきます。ノコギリ状の屋根の建物がそれです。Googleマップ

健軍商店街、昭和38年(1963年)当時は今と違ってアーケードも無く、かなり開放的な感じだったようです。戦後の昭和28年(1953年)6月26日に起こった白川大水害の影響もあり、熊本市の市街地が西部に比べ標高の高い東へ東へと伸びていった様子を伺い知ることが出来る1枚です。市電もあり利便性が高かったのも人口が増えた要因なのかも知れません。近くには陸上自衛隊健軍駐屯地や熊本陸運支局、熊本市健軍文化ホール、熊本城内の二の丸から移転してきた県立第二高校や聾学校もあります。付近には第二空港線や国体道路東西線などもあり、交通量もかなり多いところです。


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◆ここからは現代の写真。電停周辺の写真や健軍商店街ピアクレスの写真を掲載しています。

電停に停まる市電0800系。

ちょっとアップで。

0800系を横から。

健軍町電停の様子。2010年3月に電停がリニューアルしました。パノラマ

健軍商店街ピアクレスはJ2チームの「ロアッソ熊本」を応援しています。

健軍商店街ピアクレスの様子。郊外型SCの猛追にも負けずなかなか健闘している商店街です。様々なアイディアで地域を盛り上げていらっしゃるようです。この道を真っ直ぐ行き信号から左折すると「健軍文化ホール」があります。

ようやく取材が終わり通町筋まで戻ってきました。

全9ページと非常に多くなってはしまいましたが最後までご覧頂きありがとうございます。次はいつになるでしょうか。大きな動きがあったらまた写真を入れ替えると思います。お楽しみに・・・☆

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古写真の著作権は東洋ネオン様、現代の写真は熊本市電写真館が所有しています。現代の写真は2010年8月末に撮影。

画像及び文章の無断転載を禁じます。(C)Toyo neon&Kumamoto-city Transportation Museum.

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